連珠雑記

連珠(競技五目並べ)に関する雑記。問題掲載、五目クエストの棋譜、公式戦振り返りなど。

連珠は知識のゲームか?~局面認知力と知識~

「連珠は視力」というのは特に最近よく言われることだが、これについて少し考えたい。視力、ここでは瞬発的な局面認知力=「ある局面を見た時に、適切に情報を取捨選択する能力」として話す。これに必要なのは何か。私のなかでは「経験値+整理された知識」の二つである。

経験値というのは要は慣れのことだ。局面認知を繰り返すことによって慣れてきて、それだけで速度が上がる。ここに違和感を持つ人はいないだろう。

整理された知識について。具体的にどう表現するか迷ったが、私の語彙ではこのくらいが適切だろうと感じたので、他に言い方あるいは専門的な表現があるかもしれない。その辺りはご容赦願いたい。整理された知識とはつまり汎用性のあるもの、ここでは連珠の話なので連珠に限定するが、連珠を打つ上である特定の局面だけではなく広く色々な局面で使用できる知識を指す。

この類の最も簡単なものの一つは、「相手の四は止めなければならない」がある。これは連珠で四がある局面ではほぼ何にでも該当する。例外は、あらかじめ自分の四がある場合。相手の四を止めずに自分が五を作ってよい。実戦では自分の四が存在する状態で相手に四を打たれることはまずないので、実質的に100%どの局面にも当てはまる連珠についての知識である。

これに対して、整理されていない知識というのがある。「この局面ではこう打つのが正解」というもので、早い話が丸暗記だ。丸暗記はその該当局面以外では使用できないため、記憶容量を取る割りに使い勝手が悪い。この類の知識は局面認知力にはほぼ影響しない。私の経験上では多くの人が「丸暗記」→「整理された知識に噛み砕く」ということをしており、ここをいかにうまくやるかが上達の要なのかもしれない。

局面認知力は上記のような整理されていない謎の情報Xというべきものの量より、整理された知識量及び、それをどのくらい使い慣れているかが大事になってくる。「相手の四は止めなければいけない」ことが定着していない入門者は、通常ある局面で相手に四があっても瞬時に四を止めることはなく、少しの間考えて「これは相手に五ができてしまうから止める必要がある」という思考過程を辿る。この思考過程があるうちは時間がかかる。

四追いでもなんでも、最適化された局面認知力の持ち主は、ある局面群や手筋に対応した知識を豊富に持っており、使い慣れているということだ。連珠には「読みタイプ」「感覚タイプ」「研究タイプ」と言った棋風の分類がされることがあるが、感覚タイプの正体がこれではないかと感じている。豊富な知識があり、それの取捨選択や組み合わせが得意ということだ。

以前、某人の「囲碁は知識」というツイートがあった。それを見た瞬間は「まぁ知識も大事だけどそういうゲームじゃないだろ」というのが直感的な感想だったが、この言説も上記のような意味合いなのかもしれない。連珠でもこのような考え方に則れば大概知識のゲームになるだろう。