連珠雑記

連珠(競技五目並べ)に関する雑記。問題掲載、五目クエストの棋譜、公式戦振り返りなど。

ソフト研究の浸透は連珠の何を変えたか

時々聞かれることである。この質問に厳密に答えるには、ソフト研究黎明期から順番に話していく必要があるのだが、大変な量になってしまうため特に高レベルソフト(Yixin)の登場前後について述べる。

 

「誰でも」より速くより正確な研究ができる時代

Yixinのもたらした一番の成果はこれだろう。従来ソフトは使用者の局面判断能力がかなり大きく関わっていた。Yixinはそれ自体が全体として人間のトップクラスの棋力を有し、詰みなどの分野では人間のはるか先にいる。連珠の全くの初心者であっても、時間をかけて検討させればかなり高い質の棋譜が手に入るようになった。従来ソフトの研究ガチ勢が一日かけて出した結論をYixin研究では30分で解決したという話も聞いたので、研究速度それ自体も以前より飛躍的に上昇している。いまの時代に求められるのは棋力よりも何よりも、スペックの良いコンピューターなのかもしれない。

 

完成形を作る時代から完成形をアレンジする時代へ

私の記憶では09年あたり、題数指定打ちが正式採用された時期の連珠世界において、飯尾八段が序盤の戦型について紹介している。その締めとして「これらの戦型は私レベルでは分からず、ATなどでトッププレイヤー達によって磨かれ育っていく」という旨の発言をしていたはずである。

私の言う「完成形」とはその戦型の最善手順を並べたものではなく、ある程度の概形を意味している。つまり、この形における急所はここで、大体ここで攻めてこうやって勝ちを狙うというような。かつてそれはまさにトッププレイヤー達によって育てられていくものだった。

今はどうなのか。Yixin同士に打たせること(私の場合はYixin2018に一手40分ずつ)によってそれなりのクオリティの完成形を見ることができる。場合によってはその局の検討だけで戦型そのものが没になることもある。昔のソフトでこういうことをすると、正しくないことが前提だった節がある。Yixinの場合、私の印象では100%正しいことは多くないが、抑えるべき要素はしっかり抑えてくる、という感じだ。ソフト特有の人間には思いつかない好手も多いため、この作業を行なっているかどうかだけで決着する局も少なくない。昔は基本手順がスタートラインでそこから頑張っていく感じだったのが、今では基本手順+その戦型の完成形を押さえていることがスタートラインになってきている。個々の持ち味が出るのはその先で、間違いなくシビアにはなっているだろう。

 

Yixinの登場によって人間同士のレベル差はどうなるか、何が差になるか

ここからは完全な私の見解である。まず全体としては、人間同士のレベル差はかなり少なくなるだろう。その理由は先述した通り、誰でも一定以上の棋譜を出力することができるようになったことに寄る。

トッププレイヤー間においては、これまでよりむしろレベルは開くようになると思われる。大きな要因は研究効率と、ソフトから何を引き出すかということにある。差は少なくなったとはいえ研究効率は局面判断能力に大きく依存する。判断能力が高ければ高いほど、より急所に近い情報を、他の人達より先んじて得ることができる。これは私が研究していて実感するところが多い。強い人は自分よりも色々な局面から情報を引き出していく。私の知るところではこの差を補えるのは余りあるPCスペックのみである。

ソフトから何を得られるか、というのは大したことないようでいて長期的に見ると影響力が大きい。ざっくりいうと、ただ単純にソフトから出力された「正解手」を覚えていくだけの人、棋理の理解をより深めようと単純な研究以外のところで検証していく人に別れる。連珠の理解度が高い方が強いというのはいつの時代になっても変わることはない。ソフトを理解度の向上に役立てられるかどうかが今後トッププレイヤー間のレベル差として如実に表れると思う。

最後に重要な話として、複数人での情報共有について。日本の連珠では基本的に研究は一人、多くても二人くらいで行なうのが通常ではないだろうか。二人はまだいいとして、一人でやっていると今後勝つのが難しい時代になっていくだろう。一つは純粋に、必要な研究量というのが一人でできる量を大幅に超えていること。もう一つは価値観の更新である。一人で強くなっているとどうしても価値観が凝り固まり気味になってくる。色々な人と関わり情報交換をして「こういう手がいい手になることもある」とか、「今はこういう手が注目されている」といったように知識や考え方を更新していく重要性が高まっている。世の中ではコミュ力コミュ力と言われて久しいが、連珠で強くなるのにもコミュ力が必要になってきたということかもしれない。