連珠雑記

連珠(競技五目並べ)に関する雑記。問題掲載、五目クエストの棋譜、公式戦振り返りなど。

連珠に才能はあるのか?

連珠をやるために生まれてきたのではないかと思わず感じてしまうような人間は確かにいた。彼はいま連珠から身を引いているが、本当に強かった。将棋界で藤井総太先生が話題となって久しいが、仮に今でも続けていれば「連珠界の藤井総太」として名を馳せていたかもしれない。

これは私の記憶なのだが、ヒカルの碁で(搭矢アキラを評して)「一生勝てない。どんなに碁の勉強をしても、あいつには。」というような一節があった。そういうようなものを感じさせる人だった。私は連珠を12年ほどやってきているが、「あ、連珠は才能のゲームなんだな」と心の底から湧き出てしまうのがその彼に対してであった。それでも基本的には努力のゲームだと思っている。それ以外ではここまで才能の差というべきものに絶望した記憶はない。

というわけで、標題の問い「連珠に才能はあるか」に対してはYESである。この「才能」は一般的にイメージされる輝きを持ったそれを指す。私は先天的な才能と呼んでいる。このなかでも強い先天的な才能を持ち、それが競技と合致するのは実のところ業界に1人か2人いるかどうか、10人はいないのではないかというのが個人的な感触だ。先天的な才能の中で連珠で比較的よくあるのは「写真記憶」(これが正確な呼び方かはわからない)と呼ばれるもので、つまり脳内で読んでいて石が全く消えない人達がいるらしい。私は5個で消える。

上記のような才能とは別に私はもう二つあると考えている。「強い興味関心」と「廃人適性」の二つだ。ポーカーの木原さんの記事に当てはめると、この三つのうちどれか一つでも持っていれば上位1%に入りそうだ。二つ持っていると一流、三つ全部あると超一流という感じだろうか。

強い興味関心は、ある程度以上強い人であれば誰でも持っているのではないかというイメージがありそうだが、意外とそうでもない。この記事は連珠についてなので連珠を例に取るが、連珠そのものに強い関心を持っている人は実のところかなり限られるというのが印象だ。多いのは「この人と一緒にやるのが楽しいから」「対人競技特有の駆け引きが楽しい」「勝負で相手を打ち負かすのが快感」「周囲の注目を集めたい」「数字(レート)が上がればなんでもいい」この辺りだ。動機としてはどれも良いとは思うが、連珠そのものというよりは連珠の周辺事項である。もっとこう連珠にフォーカスした興味関心を持つ人は強い人の中でもかなり少ないと思う。「相手を負かすことが楽しい」と「駆け引きが楽しい」、「承認欲求が強い」の三つのパターンが見ていると多数派だろうか。誤解しないでほしいのは、そもそも強くなる人は一定以上連珠が好きだし、連珠が好きで好きでしょうがない人も勝負事が好きで承認欲求が強いことは多い。動機を切り抜いた際にどれが一番強そうかという話を私の独断と偏見に基づいてしている。理想型としては「連珠にフォーカスした興味関心」が中心にあって、かつ対人勝負が好きであるが承認欲求からは解き放たれている状態だろうか。現実的にはこの型にどれだけ近いかということだろう。難しい。

廃人適性も稀有。Twitterを見ていても2000局打つだけでなんとかなるといった言説がたまに見られるが、そもそも2000局打つことが常人には異常事態である。廃人適性も見ていると段階があって「俺はこんなにやった(2000局)」という人と「まだまだ自分はこの程度(10000局)」という人がいる。これはマウントを取りたいわけではなく素でそう思っているという意味合いだ。特に後者の人の廃人適性は物凄い。廃人することに苦しさをほとんど、あるいは全く感じず呼吸をするのと同じ感覚でできるような人達がいる。連珠とは話が変わるが、とあるオンラインゲームで一日でレベルをカンストさせる友人がいた。彼にどうやるのか話をきくと「経験値2倍のアイテムを購入して、20時間くらい狩り続ければすぐいける」と事もなげに言われてしまった。その場でポカンとしてしまったが、真の廃人とはこういうものである。連珠でも朝起きて外出する前にちょっと研究しようとして、気づいたら日が暮れていたという事例も聞いたことがある。廃人適性のある人はそうでない人より合計所要時間では多少遅れをとることもあるが、化け物じみた強さを手に入れてくることが常だ。

この記事を書く前は正直、この三つの中のどれか一つを持っていることくらい大して珍しいことではない、みんな当てはまるのでは?とさえ考えていたが、冷静に文字に起こしてみるとどうやら常軌を逸している。でもこういう人達は実在する。連珠では廃人適性の持ち主が多いような気がする。こういうことはよくあるんだよハハハ的なテンションで締めるつもりだったが、かえって異質性を浮き彫りにしてしまったかもしれない。