連珠雑記

連珠(競技五目並べ)に関する雑記。問題掲載、五目クエストの棋譜、公式戦振り返りなど。

「どうしたら強くなりますか?」に対する考察

「どうしたら強くなりますか?」

 

この質問は、連珠のようなゲームをしている方共通の悩みだろう。私自身も日々感じているし、何より最近は聞かれることが多い。自分なりに考えてみたい。

まず、この質問をする人には、私の経験上大きく分けて以下の3通りに分かれる。

①話題作り。とりあえず聞いてみたい質問

②はじめたばかりで本当に右も左もわからない

③練習時間をかなり割いている、あるいは対局数が非常に多いにも関わらず伸び悩む

 

①の人と思しき場合には、とりあえず詰め連珠と答えている。誰相手でも大抵当てはまる安全な解答である。②の人についても、基本的には詰め連珠と答えている。連珠は基本的な詰みが分からないとその他概念の導入に非常に苦労するため詰みが分かるに越したことはないし、極端な話詰み周辺を究めればそれだけで五段にはなると感じている。詰みが嫌いな人についてはとりあえず何も考えずに1000局打って、話はそれからだとよく伝えている。当たり前だが人間の能力適性というのは多種多様で、ある程度の局数を積まないとその人の得意苦手が見えにくい。1000局も打てば個人差はあるがそれが概ね見えてくるのと、三や四を見逃さない程度の認知力が磨かれてくるので思考に余裕ができる。これは独力で強くなる場合で、誰かに教えてもらう場合はその限りではない。教えてもらう場合には、一局打つ、というより開始10手から15手くらい打つとその人の得意苦手や何を考えているか、何が見えていないかがある程度分かるのでそれを局中で検証しながら修正していくのが一般的だろう。こういう話をすると驚かれることが多いが、連珠ではそのくらい一手あたりに得られる情報量がある。

問題は③の人達。これに該当する方の心中は察するに余りある。「自分はこんなに連珠に時間を費やしている。周りはどんどん強くなるなかで自分ばかりが置いていかれる。自分はなんてダメなんだろう。」とドツボにはまっていきやすい。私もその口だったが、見ているとこの中にもいくつかのパターンがある。

①対局数は多いが基本的に全てノータイム打ち

②いつ寝てるのかというレベルでずっと打っている。睡眠不足

③気にかかることがありながら打つなどの精神的不安定や体調不良

④インプット不足

これらの要素は一人一つというわけではなく、多くの場合は複合的である。というより全部持っている人が多いのではないかなぁ。

①について、ノータイム打ちをやりまくって強くなれる人というのは、他のボードゲームで既に強くなったという経験がある人を除くと一種の特殊能力持ちあるいは子供である。何も考えずに打っていてそこから何かを引き出すのは難しい。強い人のノータイムの場合は、着手が速いだけでずっと考えている。ノータイム打ちをしながら考えるのは特に最初のほうは難しいので、例えば五目クエストの5分なら慣れないうちは序盤で5分使い切るくらいでもいいと思う。最初のうちは負けまくるが、レートは後からしっかりついてくる。

②について。これは意外に思われるかもしれないが、この手のゲームで強くなるための最重要要素は私の中では適切な睡眠の確保である。理想は8時間、できれば7時間。6時間以上は死守する。睡眠に関する情報はTwitterでも多く流れているし、ぐぐればいっぱいでてくるので細かいことは各自調べてもらいたいが、体感でも睡眠が不足すると明らかに集中力認知力記憶力が低下する。睡眠を削ってまで練習するのは逆効果である。寝るだけで強くなることさえある。睡眠は大事。③も同様に睡眠が関係している可能性もあるので困ったらとりあえず寝るべし。

④について。ひたすら対局数を積むだけで自分で何かを発見し、取り入れあるいは修正するということができる能力者はいる。そういう人はただ打っているだけで勝手に強くなる。一種の特殊能力の類であり、多くの人はインプットとアウトプットを別々に行う必要があると思われる。インプットした内容を精度高くアウトプットできるようにするというのが強くなるという言葉の中身だと思うが、既存の知識を十分にアウトプットできるようになった場合、新しい知識をインプットしないと強くなれないことになる。対局数を積みまくっているのに強くなれない場合はこれに該当する可能性が高い。

私がこの問題の解決に推奨するのは「見ること」だ。棋譜並べでもいいし、自分より強い人のリアルタイム観戦でもいい。自分より強い人は強いだけの理由があるはずでそれを探していく。自分ならこうは打たないとか、この手順をよく見るだとか、注意深く見ていると色々発見があるだろう。見つけたら実際に自分で試してみてそれを検証していく。極端な話強い人のマルパクリでもしばらくはいいと思う。マルパクリ自体が難しくてできないのと、マルパクリをしようとするうちに自分の中で要点が整理されていくことが見込める。見ることを練習の選択肢に含めない人も多いのではないか。個人的に打つよりも大事なので是非やってみてほしい。

色々書いてきたが、つまるところ一番大事なのはどうしたら強くなるかを自分で突き詰めて考えることだと思う。強くなってきた人とあなたは根本からして別の人間だ。その人が通った道筋を同じように辿っても強くなるとは限らない。どうしたら強くなりますか?を他人に投げかけるのではなく、自分に投げかけるのがよき。

 

連珠は知識のゲームか?~局面認知力と知識~

「連珠は視力」というのは特に最近よく言われることだが、これについて少し考えたい。視力、ここでは瞬発的な局面認知力=「ある局面を見た時に、適切に情報を取捨選択する能力」として話す。これに必要なのは何か。私のなかでは「経験値+整理された知識」の二つである。

経験値というのは要は慣れのことだ。局面認知を繰り返すことによって慣れてきて、それだけで速度が上がる。ここに違和感を持つ人はいないだろう。

整理された知識について。具体的にどう表現するか迷ったが、私の語彙ではこのくらいが適切だろうと感じたので、他に言い方あるいは専門的な表現があるかもしれない。その辺りはご容赦願いたい。整理された知識とはつまり汎用性のあるもの、ここでは連珠の話なので連珠に限定するが、連珠を打つ上である特定の局面だけではなく広く色々な局面で使用できる知識を指す。

この類の最も簡単なものの一つは、「相手の四は止めなければならない」がある。これは連珠で四がある局面ではほぼ何にでも該当する。例外は、あらかじめ自分の四がある場合。相手の四を止めずに自分が五を作ってよい。実戦では自分の四が存在する状態で相手に四を打たれることはまずないので、実質的に100%どの局面にも当てはまる連珠についての知識である。

これに対して、整理されていない知識というのがある。「この局面ではこう打つのが正解」というもので、早い話が丸暗記だ。丸暗記はその該当局面以外では使用できないため、記憶容量を取る割りに使い勝手が悪い。この類の知識は局面認知力にはほぼ影響しない。私の経験上では多くの人が「丸暗記」→「整理された知識に噛み砕く」ということをしており、ここをいかにうまくやるかが上達の要なのかもしれない。

局面認知力は上記のような整理されていない謎の情報Xというべきものの量より、整理された知識量及び、それをどのくらい使い慣れているかが大事になってくる。「相手の四は止めなければいけない」ことが定着していない入門者は、通常ある局面で相手に四があっても瞬時に四を止めることはなく、少しの間考えて「これは相手に五ができてしまうから止める必要がある」という思考過程を辿る。この思考過程があるうちは時間がかかる。

四追いでもなんでも、最適化された局面認知力の持ち主は、ある局面群や手筋に対応した知識を豊富に持っており、使い慣れているということだ。連珠には「読みタイプ」「感覚タイプ」「研究タイプ」と言った棋風の分類がされることがあるが、感覚タイプの正体がこれではないかと感じている。豊富な知識があり、それの取捨選択や組み合わせが得意ということだ。

以前、某人の「囲碁は知識」というツイートがあった。それを見た瞬間は「まぁ知識も大事だけどそういうゲームじゃないだろ」というのが直感的な感想だったが、この言説も上記のような意味合いなのかもしれない。連珠でもこのような考え方に則れば大概知識のゲームになるだろう。

自分の数学嫌いはどこから来たのかという話

私はいわゆる根っからの文系である。連珠を打つ人、それも有段者、高段者となれば必然周りには理系が多い。時々聞かれることがあるのだが、そのときに数学、それどころか算数で怪しいという話をするとたびたびビックリされる。そんな私であるが、最近YouTubeで数学系の動画を見ることにちょっとハマっている。私の数学的知識レベルは中学くらいで止まっているのだが、それでも結構面白いことに気づいた。なんというか、内容がよくわからなくても、分からないものが綺麗にまとまっていくような感覚だけが伝わってきてそれが良い。あと概してこういう動画を上げる人は話し方がうまいのか、自分でもなんとなくできるようになった錯覚を味わえる。よく講座の内容がレベルが高すぎるから云々というのを連珠でやっていても気にするのだが、こういう感情になるなら意外とアリかもしれない。そんなことをぼんやり考えながら見ていたが、自分はあれほど数学が駄目だったのにどうして今になってそこそこ(わからないながら)楽しめているのか不思議に思った。少し記憶を遡ってみる。

 

思い返せば小学生のときから。まず簡単な四則演算がうまくできず、特に繰り下がりで計算間違いが多かった。中学に入ってエックスとかワイといった文字が導入されるともうダメで、それでも気合いの例題丸暗記で凌いでいたのだが限界がある。高校では数Iの段階からつまずいて、センター試験の数学の点数は40点ちょっとくらいだったと記憶している。

私の高校は追試の量がすごく、しばしばテストで5点とか7点といった一桁点数を記録していたためよく受けたものだった。特に過去に一度、同じテストの追試を7回受けたことがある。途中からは数値を変えるだけの全く同じ問題、最後のほうは数値すら全く一緒なのだが、なぜかそれでもできなかった。もはや何が分からないのか分からないレベルで、問題文を読解すべき日本語として認識していなかった。今から振り返るとまったくもって謎だが、あまりにもできなすぎると頭の中に「これはできない」という拒絶反応がセットされてしまうらしい。

ここまで読んできてお分かりかもしれない、というより気づいたのだが、私は本当にこの分野で成功体験がなかった。友人にはバカにされ、先生や親には叱られ、テストの点数はもちろん悪く、自分の中にはできないという無力感が根を張っていく。言うまでもないが宿題の類は放置である。それが動画を見ることで、完全な成功体験ではないものの、ちょっとした疑似体験ができるのがプラスイメージを持てる要因だろう。

こういうことは意外と多いのではないかと思う。本来の興味範囲としては似通っている(私の場合は連珠×数学)、好きになる素養があるはずなのに最初の出だしをしくじってしまったがためだけにマイナスイメージが植え付けられてしまう。これは自分の数学的な知識がどうだというのを抜きにして結構深刻なことである。つまり私は連珠を広める立場の人間で、同じように置き換えると、誰かにとっての連珠のファーストコンタクトが自分で、私の教え方が悪かったりあるいはコミュニケーションで不快感を与えることがあった場合、その人にとっては一生のマイナスイメージとなって植え付いてしまって二度と触れなくなる、もっと悪い可能性としてはネガキャンする可能性があるということになる。そうなるのは悲しい。色んな人に興味をもってもらえるような普及者でありたいという気持ちを強くした一日だった。

四追いとマインドフルネス~ただ深い集中に身を任せる~

最近ゲソ天先生出題の黒先四追いを毎日1~2問解いている。「解いている」と書いているがここでの肝は「読み切りを目的にしない」ことである。問題数も関係なく、自然に読み切れたら次を探すくらいだ。

twitter.com

 

解いていて棋力が上がったということは若干あるかもしれないが、そんなに長期間やったわけではないのであまり感じない。ただ明確に感じるのは頭が冴えるようになった。

マインドフルネスというものがある。Googleが採用したことで話題になった脳の疲れをとるためのトレーニングで、瞑想に似ている。。その肝は、脳の思考を一点に集中させることにあるらしい。私たちの脳は日々知らないうちにいろいろなことを考え、決断している。昨日のこと、明日の予定、今日のことだけをとっても何時に起き、何を食べ、何を着ていくかなど、日常の一瞬一瞬が決断の連続だ。この工程が脳に著しい負荷を与えるらしく、思考を絞らせることによって脳をリラックスさせるのが狙いのようだ。詳しいことはよくわからないので各自ぐぐってほしい。

この話を知って思うのは、思考を限定すればいいのだからなにも瞑想する必要はない。四追いでいいではないか、いや、四追いこそマインドフルネスかもしれない、と。四追いはその実考えることが単純だ。白先だと禁手絡みが出てくるので面倒くさくなるが、黒先の四追いなら四三だけを見ればいい。打つのは四だけで、四を止める相手の応手は常に一つだ。何通りの受けがあって・・・、とか考える必要がない。

四追いというと普通は上達のためにやるものだから、解き切ることを前提にしてしまいがちだ。しかしこの場合はそもそも解き切る必要はない。「思考が四追いの一点に絞られている」という事実が重要で、解き切って次々切り替えるよりは、かえって解き切れないくらいのほうがいいかもしれない。自分にとって簡単すぎる問題だと集中する必要がないので難易度の調整は必要である。個人的におすすめなのは「5分以内には完全に読み切れそうにない問題」だ。私の場合はゲソ天先生の四追いがちょうどいい。また、早解きを目指すわけではないので死に物狂いで読み切りにいくこともない。ゆっくりと深い海の底に潜っていくイメージで、徐々に徐々に集中を深めていく。速さも正確さも要求されずに四追いだけを読むのは爽快で、ストレス解消にもいい。

唯一の問題点は現状こうした用途での四追い問題の絶対的な不足だろうか。一般的に公開されていないものも含めればいっぱいあるのかもしれないが、表に出ているのは少なすぎる。四追いは連珠の読みを鍛えるためというイメージ、あるいはそういうのから離れた純粋な芸術作品としての側面が強かったが、こうしたアプローチから作問するのもありかもしれない。解く側も力を抜いてやってみてはいかがだろうか。

ソーソロフルール五珠指南書PDF

台湾のTaotao氏が自身の研究及び有志の研究を募って作成したソーソロフルールの五珠ガイドです。私がツイートや動画で「指南書」と言及する際にはこの資料を指します。ソーソロフルールをプレイする際には必須となる5手目の形勢判断を示したもので、その量は膨大です。

中身は中国語なので読解がちょっと大変ですが、英語版、日本語版も作成中とのこと。

以下簡単に、使いそうな表現の意味を載せておきます。

 

A・・・必勝五珠。Aと書かれている五手目は黒必勝。

大优・・・大優勢。頑張れば必勝が出るかもしれない。

小优・・・少し優勢。実戦でも十分に戦える。

稍优(好)・・・やや良し、中盤戦で主導権を持ちやすいくらいとのこと。

平衡・・・互角。

复杂・・・複雑。難しすぎてよくわからないものに付けられる。

 

なおこの指南書は日々更新されています。いまアップロードしているのは2019/4/15版です。白有利がいきなりAになったりすることもあるので、評価は目安で捉えておくといいでしょう。

 

drive.google.com

四追い解図ソフト~VCF Helper~

四追いを解く専用のソフトが最近作られたのでダウンロードリンクを貼っておきます。

通常使用する分には制限がないとのことですが、改造再配布などは避けてください。

多分Windowsのみのソフトと思います。

 

VcfHelper.zip - Google ドライブ

Gomocupの感想 〜これからどう在るべきか〜

連珠でGomocupという大会があった。連珠ソフト同士の大会での優勝を競うものだ。いま話題となっているところでいえば、コンピューター将棋選手権のようなものだ。今年はそれまで五年連続優勝だったYixinを破り、embyro19というソフトが優勝した。詳細は知らないのだが、このソフトはチェコの少年プログラマーが作ったものらしい。世の中の進歩というのはすごい。

既にソフトが公開されたということもあって実際に使ってみた。強い。感触としてはYixinとは結構違う。一番最初に自分に湧き上がってきた感情は漠然としているものの強烈な不安だった。

話しは少し変わって、Renju Offlineというサイトがある。これは対局サイトなのだが、一般的に想像されるそれとは少し違う。持ち時間が数カ月とあり、継盤検討、ソフト検討が自由にできる。本来は時間の合わない人同士が対局を組むために作られたシステムだが、いまでは専ら連珠解明を目指す場となっている。初心者に近い人からトッププレイヤーに至るまでこのサイトで打ったり見たりしており、いまでは最新研究の動向をチェックするのに欠かせない。

yixin2017のGUI版がリリースされてから、そのソフトを完全にコピーして打つ人が急増した。めちゃくちゃ強い手を自動で導き出してくれる。それまではソフト有りとはいえ、勝率を上げるにはパソコンに張り付いてひたすら自分でポチポチ検討するのが必須だった。yixinが出てからはソフトを付けっぱなしで外出なり就寝なりして、しばらくすると強い手がでてくる。あとはそれを着手すればいいだけになった。こうしたことが成立するのは、持ち時間が長く継盤可能な環境であっても、yixinがそれを凌駕する手を頻繁に導出することが理由にある。人によっては、ソフトは連珠を極めた、終わったという声も現れた。しかしembyroが登場し状況は変わるだろう。embyroはyixinとはだいぶ違う手を打ちながらyixinより強い。みんなそれに改めて追従していくことだろう。

ここに不安を持った。それまで大して疑いもしなかった価値観が一瞬にして塗り替えられること。だからといって、どうせすぐ変わるのだからと投げ出していては時代に置いていかれること。追従する中で、流されずにもがきながら何が自分の目指すもの信じることを見つける必要があること。

これは何も連珠だけに限った話ではなく、普段の在り方でもそうだろう。連珠は完全情報ゲームゆえ、時間をかければいつかは答えが見つかるが、人生はそうはいかない。もがき続けなければならない。そうして何かを発見できるのか。できたところでどうなるのか、そういう不安だった。

私は昔から何かを盲信しやすい性格であることを自覚している。それが容易に裏切られることも何度もあった。それでも何かを信じたいと思ってしまうのは、もがくことに恐怖があるからかもしれない。盲信して、追従するほうが楽だからだ。こうした話しは恐らく既に別の分野でも出ているのではないかと思うが、連珠という自分が本格的に携わっている分野で表れたことで、実感を伴った焦りと不安が出てきた。とはいえもがくしかない。諦めて止まってしまうのは危ない兆候だというのは、連珠の前例を見ているだけでも感じる。わかりやすく淘汰されていくからだ。なんとか生きていきたい、やっていけるかなぁ。