連珠雑記

連珠(競技五目並べ)に関する雑記。問題掲載、五目クエストの棋譜、公式戦振り返りなど。

第57期連珠名人戦リーグ1回戦 長谷川九段戦

ふと自分の連珠が客観的にどうだったのかを調べてみたくなったので書いてみる。

 

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私の白番。この時点での私の研究では七題提示が相場だったが、いまは六題提示でも充分だと思っている。後々試す必要がある。この中で五珠指南書に載っていないのはK9。載っていないということは指南書的に少なくともいい手ではない(完全に咎められるかは別)か、注目されていないだけで充分打てる手か。初見なのでこの時点では判別できない。五珠J7に対しては準備に自信があったのでそちらを打とうかとも考えた。しかし今大会のテーマが、2年後の世界選手権に向けた自力向上及び勝負師としての自分の模索であったためこれを見送った。別の機会で打つこともあるだろう。

 

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第一の反省局面。白6本譜はあまり考えずにまぁ悪い手なわけがないだろうと思って打ってしまったが、黒5を悪手と解釈して本気で咎めにいくなら白6でAも有力だった。私の序盤(一概に言えないが大体開始15手から20手程度)の判断は総じて甘い。疲労しているときはまた別として、調子の悪くない状態におけるミスはほぼこの段階および詰み周りに集中している。連珠の序盤力はほぼ終盤力とイコールといってよく、終盤力に難のある私としては当然の帰結かもしれない。考えて分からなかったのなら仕方ないとして、せめてAをもう少し考えたかった。

 

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白10でYixinやEmbryoといったソフトは違う手を推奨する。比較検討してみたところこれは好みの範疇だろう。軽く検討した程度では何が明らかにいいというものではなかった。落ち着いた状態でソフトを使用して分からないということは、実戦的にはもっと分からない。問題なのは白16。直前の黒15に対して違和感を持ったのはそうなのだが、具体的な対処方法が分からなかった。このときの私の第一感は白Aからの追い詰めだったが、白Aに対し黒Cで勝てないという判断だった。黒Cで勝てないのなら白Cからの追い詰めを考えるのが漏れのない手順。しかし詰みがなかった。感覚としてはどう見ても何かありそうなだけに、次の手をどうしようか苦心した。結局白16で本譜のように受けておいて、後の白Bを狙いにする長期戦構想に切り替える。この判断自体は悪いものではなく、分からないなかで次の手を選ぶという意味において良い判断だったようだ。ただこの局面には白に勝ちがあった。

 

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白16から全部打っていき、白22まで冷静に三三禁を睨んで受け無しというのがその手順だ。Embryoが0秒で勝ちを示すのだが、私は1秒も考えなかった。まず全部打つというのをあまり重要視せず、追い詰めではなく呼珠受け無しで終息するのが完全に盲点だった。思いのほか思考に制約をかけてしまっているのだと気づかされる。こういうのを漏らさないためにはどうしようか・・・。

 

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本譜に戻る。白16黒17で局面を悪くしたかもしれないと感じていた。確かに最善=勝ちからちょっと有利くらいまで戻されているのだが、思っていたほど局面は悪くなかった。白18は相当自信がなかったが、ソフト的には推奨手らしい。以下24まで16のときの狙いが実現した。まだやれる。評価を調べても白18から24は最善クラスのようだ。白26では急に良くなったと感じて保守的になってしまった。こういうところ感情の急激な揺れが手の精度に表れているように思う。Embryoは白Bを推奨していた。私は本当なら白Aに打つつもりで、黒の詰みなしを時間内で断言する自信がなく本譜を選択している。本譜は本譜でYixinでは推奨手だったので好みなのかもしれない。

 

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黒27では右辺を受けにいくべきであった。白28以下追い詰め。仮に27で受けていれば上辺での戦いを考えていた。

 

全体として明確に間違えた箇所が一つ。それでも被害を最小限に抑えたということでよしとしよう。数年前ならこういうミスが出るたびに発狂していたが、いまはだいぶ落ち着いて見ることができている。比較的よく打てたほうだと思う。

 

 

 

 

 

部分処理

noteのほうには局面以外のことを書いているので、こちらは局面について書くという棲み分けをしたいと思う。必然的にガチ記事が多くなってしまうかもしれない。正直そのほうが書いていて楽しいという面がありご容赦いただきたい。題材は主にカカオの30秒連珠から。

 

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私の白番。流星より黒9は時折見られる打ち方。この手自体は将来の黒Dなど左上での攻めの破壊力を増強する意味合いが強い。それを恐れて白が上辺から受ければ、今度は右下で強攻しようという攻撃的な作戦だ。対する白10と単に止めておくのが決定版の対策とされ、いわゆる「終わった戦法」入りしている。とはいえそもそもあまり打たれないので実戦的には有効。私は忘却していた。黒11は両者の好点なので自然な手。白は中途半端に受けの姿勢を見せると猛攻を食らうので、強気に打って相手の出方に制約をかける。連珠で受けというと相手の急所を止めていくイメージが強いと思うが、実際には制約をかけるほうが出現する機会は多い。13まで自然な進行でここが岐路。

普通に考えれば白14ーAが最も堅い。これは右下だけを見ればいい手なのだが、黒の本命である左上を全くケアできていないのが気がかりだ。黒B以下色々くる筋と黒Dを連携されると攻めにバリエーションが生まれる。加えて、仮に白が続けてBと打ち込めたとしても白勝ちに至るほど強くはない。黒に何もないならこうした手でゆっくりと優位の拡大を図るのは有力だが、脅威を残している現局面では立ち遅れ気味だ。

 

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例えば黒17までが想定される。このときに次の黒Aに対して白Bが絶対となるのがネック。より左上に勢力を集中されてしまう。後は黒A~Cの斜めのラインが気になる。何かの拍子でCに先手で入ると詰んでしまうため、白としては神経を使う展開になりやすい。もちろんこれはこれで一局で、全部受け潰しますという意思表示として悪くない。ただ攻めの技術が飛躍的に発展した現代連珠において、こういう打ち方は総じてミス待ちになりやすく、相手が大きく間違えなければ黒勝ち or 引き分けにされてしまうことが多い。主体的に勝ちの可能性を高められるならそれを選びたいというのが白の希望である。

 

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というわけで白14。これは右側に連二本を蓄える手だが、ここで勝とうという手ではない。あくまで本命はA付近を見ている。方針としては

①手番を奪取してA付近に先手で打ち込む(理想)

②手番を奪取できないが黒Aに打たれたときに強く戦えるようにしておく

③最低でも右下の黒の剣先を処理して、左上単発の攻めに限定させる

 

という感じである。これを相手の手を見ながらどこまで通せるかになる。このあたりは白番の辛いところで、どうしても相手に対応するという形になってしまう。黒番だと相手は何でもいいからとにかく自分のやりたいことをしやすいのだが・・・

 

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結果としては①となり、理想が実現した。16、18によって斜めの剣先も付いてきたので局面としては勝ちになっていてもおかしくない。あとは適当に攻めて勝てるかどうかだ。黒は23で24に打つチャンスがあった。

 

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白26の是非は微妙。完全な必勝を構築するよりも逆転筋を消すことに注力してしまった。私の悪い癖かもしれず、ここ一番の踏み込みに欠ける。しかし黒27から29と欲張ったのが決定的に悪く、34まで打てて詰みに入った。なおこの段階でも全変化は読めておらず、大体勝ちくらいである。

 

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白46まで白勝ち。変化は色々あるが検討してほしい。

強さの中心はどこにあるのか?

私は連珠の他には将棋とバックギャモンをする。両方とも連珠に比べればはるかに弱く、馬鹿にされたことも時々あった。こういう話をすると多くの人は不思議がる。その筆頭は「将棋の羽生先生は将棋もチェスも強いのに、そうでもないんですね。」という類のもの。むしろ複数ゲーム超強い方が珍しいと思うが、どうしてこういうことが起きるのか、私の場合の連珠と将棋を例にとって考えてみたい。

まず連珠。局面を見た瞬間に95%くらいの確率で、盤面上のどこかしらが脳内で光る。いわゆる第一感というやつだ。そのほかにも、この手が駄目ならこう、工夫するならここを効かすなどといった別の候補手が局面を見てすぐに出てくる。基本的な認知、連や剣先がどこにあるかというのは無意識レベルで行われる。相手がフクミ手を打ってきたとき、コシュを打ってきたとき、相手や自分に四追いがあるかを無意識的に考えている。やっていることのほとんどが無意識レベルで行われるから本当に集中しない限りは疲労もほとんどない。

将棋ではどうかというと、まず駒の効きが怪しい。角筋は三万回確認とはよく言われるが、油断するとただで取られることもままある。決定的に違うのは候補手で、指したい手が存在しない。必死に数十秒から数分考えてここかなという手が出るものの、それが良い手である確率は相当低い。一方で脳内将棋盤は連珠をやっているためか比較的しっかりしており、時間をかければ10手や20手先の局面でも正確に脳内にイメージできはする。それだけ正確にイメージできればさぞ強かろうと言ってくる方は私の想像以上に多いのだが、そんなことはない。なぜなら例えば10手先を読んだとして、2手目からして相手に全く別の有効手を指され困ってしまう。脳内将棋盤は優れた感覚とセットで初めて力を発揮する。

このように、両者を比較して決定的に違うのは「局面認知力」「手札の多さ」「取捨選択の精度」である。この三つの要素は練習しないと養われないため、たとえ他のボードゲームで滅茶苦茶強くてもいきなりでは弱いことが多い。(但し、これらを身につけるスピードはボードゲーム未経験者と比べて速いと思われる。) いきなり強い場合はある程度ゲーム性が似通っている必要がある。将棋⇔チェスはその最たるもので、駒の種類や持ち駒の制限は違っても、他のゲームより性質が近い。こういうゲームでは上達が速くなるだろう。連珠では、類似ゲームにGomokuやコネクト6という競技がある。これらは連珠と似通っていて、全く初めてでも連珠経験者であれば結構強かったりする。

局面認知力については別の記事で言及したような気がするので、手札についてもう少し言及する。よく聞かれることとして「手札の多さってそんなに重要か?全部読めばいいだろ。」というものがある。私の経験上だけでいえば、これを言う人はそもそも結構強いことが多い。ここでの落とし穴は「全部読む」というところにある。例えば連珠では文字通り全部、A1~O15までの手を逐一吟味する人はいないだろう。手札の多さは「全部」の範囲に関わってくる。思いつかない手を読むことはできない。これに対して極端だろうという人がいるがそうでもない。連珠の重要概念だけでみても、「手抜き」という考え方を知らないと延々と相手の手に付き合うことになる。「連を止めながら連を作る」という方法論でとにかく連剣先に注目する人は、連が関わらない桂馬などの手が選択肢に入らない。とにかく速度重視という場合だと、ゆっくりした有効手がやはり選択肢に入らない。全部読むといっても、全部読むのは大変である。有効手をなるべく漏れなく網羅するために手札の多さが大事になってくる。

取捨選択の精度を鍛えるのは骨が折れる。まず取捨するモノを用意するところから始まるので先は長い。局面認知力と手札(取捨するモノ)については初期から練習しやすい上即効性がある。ここが鍛えられていれば対応できる局面が本当に幅広くなる。何が強さの中心かというのは議論は尽きないだろうが、私としてはこの二つが肝だと思う。

勝負の熱気はどこから来るのかという話~QTという異質な空間~

勝ち負け書いて勝負と読む。勝負は必ず結果が出る。みんな負けたくないから本気で戦う。こういう気持ちで満たされた場は自ずと熱気を帯びてくる。

連珠を始めて恐らく今年で12年になるが、連珠も勝負事の一つ故、色々な勝負を見てきたし自分でも経験してきた。練習対局から挑戦手合いまで本当に色々やってきた。感じるのは熱気の種類がその場その場でだいぶ異なるということだ。勝負の熱気として一般的に想像されるものは「目の前の相手に勝つぞ」であるとか「この大会で勝つぞ」というものだと思う。そしてそれが最高潮に達するのは最高峰の舞台と思われるかもしれないが、意外とそうでもない。少なくとも私にとっては挑戦手合いのあの場は連珠と向き合う空間であり、自分と向き合う空間であり、相手と対話する空間だった。勝負はどちらかといえば付随するもので、死ぬ気でこの人に勝つという感情はほとんどなかった。これが見てる人にどう映るのかは分からないが、「勝負」から想像されるそれとはちょっと違ったものだと思う。

連珠の場合、勝負としての熱気を帯びるのは実は最高峰の舞台よりもむしろその前段階、予選であることが多い。挑戦手合いよりも決定戦リーグ、それよりも二次予選、一次予選・・・と。必ずしもこの順番で熱気が高まるわけではないが、本戦よりも予選のほうが熱気を帯びやすいのは確かだと感じる。それは何故か。個人的な解釈では「みんなが共通の目標に向かって全力を尽くす」というのがある。予選は予選通過という分かりやすい目標があるため、みんなの意識が自然とそちらに行きやすい。

「予選でなく普通の大会でもそうじゃないか?」と考える人もいるだろう。意外と違うのだ。単発の大会で、あるいは予選ですらみんなの意識が共通のものに向かうというのは起こりにくい。「とにかく優勝」を筆頭に「自分なりのベストを尽くす」「とにかく1勝を上げる」「ケアレスミスだけはしないように」それぞれが最優先とする目標がある。別に目標を共有してなくとも一定の熱気はあるのだが、それはあくまで一定の熱気である。

ならば挑戦者決定リーグが最も熱気があるのかというと、それもまた違う。通常リーグの目標とされるのは挑戦権獲得もしくはシード権獲得だろう。この棋戦は毎回大会前に連珠世界でアンケートを取るのだが、全員が「死ぬ気で挑戦権を取ります」や「シード以上は死守します」という感じではない。実際に読んでみれば分かるが、人によって想い想いの目標やら意気込みがある。もちろんそれはそれで熱気を帯びているのだが。

さて、なぜQTを異質な空間かと書いたかというと、QTには明確な共通目標、予選通過がある。(世界選手権最終現地予選 Qualification Tournament でQT) そもそも出場者がだいぶ限られ、しかも大半の参加者にとっては海外で開催される大会である。そうすると、予選通過に強い志を持つ者しか集まりにくいという性質が出てくる。その結果起こるのは熱気というよりは殺気じみた雰囲気を帯びた空間であり、棋譜自体も他の大会に比べると穏便な進行は少なく、何としてでも勝つという斬り合いが多い。あるいは引き分けで通過できる場面であれば「全力で引き分けしか狙わないVS全力で勝ちしか狙わない」という対局もある。私がQTに出場したのは2015年が初だが、そのときは普段のどの大会とも異なる特殊な雰囲気に飲み込まれて、惨敗を喫してしまった。その場にいて空気が痛く、自分はなんてところに来てしまったんだと後悔しながら、大会中は適応できず焦燥感と不安だけが大きくなっていった。他の日本人出場者に話を聞いても「もうあの大会には出たくない。直接ATに行きたい。」という声が圧倒的だった。

私は今年の3月に行われた珠王戦での成績(この大会が世界選手権予選の役割を担っている)が奮わず、前回AT出場で得た個人シードでQTに出場することになった。そのときの率直な感想は「またあの大会に出るのか。寿命縮みそうで嫌だなぁ」といったようなものだった。前回QTは歴代でも最もレベルが高いと評されるほど熾烈であったが、今回もそれに劣らないくらいの難易度がありそうだ。しばらくは放心状態だったが、最近はかえって幸せなことなのではないかと思うようになった。あの空間で行なわれるような対局、魂を削り取るような戦いは他でなかなか経験できないこと。それをまた経験できる自分は幸福なのではないかと。気づけば去年よりもかなり練習もしている。もちろん練習したからといって勝てる保証はない。4年前のような惨殺で終わるかもしれない。それはそれで仕方がない。相手も死ぬ気で通過しにくるはずで、そういう人達がぶつかり合えば結果がどうなるかは本当に分からない。分からない、というところまで行って戦って負けるならそれはそういうめぐり合わせだったのだ。そこまで自分や連珠を高められるかのほうが問題である。もうあと一か月しかない。全力を尽くしたい。

前回QTもやってるほうはだいぶ必死で余裕がなかったが、見ていてくださった方々には非常に楽しんでもらえたようだ。今年もやってる側だけではなく、見てる方も楽しんでほしいな。

連珠に才能はあるのか?

連珠をやるために生まれてきたのではないかと思わず感じてしまうような人間は確かにいた。彼はいま連珠から身を引いているが、本当に強かった。将棋界で藤井総太先生が話題となって久しいが、仮に今でも続けていれば「連珠界の藤井総太」として名を馳せていたかもしれない。

これは私の記憶なのだが、ヒカルの碁で(搭矢アキラを評して)「一生勝てない。どんなに碁の勉強をしても、あいつには。」というような一節があった。そういうようなものを感じさせる人だった。私は連珠を12年ほどやってきているが、「あ、連珠は才能のゲームなんだな」と心の底から湧き出てしまうのがその彼に対してであった。それでも基本的には努力のゲームだと思っている。それ以外ではここまで才能の差というべきものに絶望した記憶はない。

というわけで、標題の問い「連珠に才能はあるか」に対してはYESである。この「才能」は一般的にイメージされる輝きを持ったそれを指す。私は先天的な才能と呼んでいる。このなかでも強い先天的な才能を持ち、それが競技と合致するのは実のところ業界に1人か2人いるかどうか、10人はいないのではないかというのが個人的な感触だ。先天的な才能の中で連珠で比較的よくあるのは「写真記憶」(これが正確な呼び方かはわからない)と呼ばれるもので、つまり脳内で読んでいて石が全く消えない人達がいるらしい。私は5個で消える。

上記のような才能とは別に私はもう二つあると考えている。「強い興味関心」と「廃人適性」の二つだ。ポーカーの木原さんの記事に当てはめると、この三つのうちどれか一つでも持っていれば上位1%に入りそうだ。二つ持っていると一流、三つ全部あると超一流という感じだろうか。

強い興味関心は、ある程度以上強い人であれば誰でも持っているのではないかというイメージがありそうだが、意外とそうでもない。この記事は連珠についてなので連珠を例に取るが、連珠そのものに強い関心を持っている人は実のところかなり限られるというのが印象だ。多いのは「この人と一緒にやるのが楽しいから」「対人競技特有の駆け引きが楽しい」「勝負で相手を打ち負かすのが快感」「周囲の注目を集めたい」「数字(レート)が上がればなんでもいい」この辺りだ。動機としてはどれも良いとは思うが、連珠そのものというよりは連珠の周辺事項である。もっとこう連珠にフォーカスした興味関心を持つ人は強い人の中でもかなり少ないと思う。「相手を負かすことが楽しい」と「駆け引きが楽しい」、「承認欲求が強い」の三つのパターンが見ていると多数派だろうか。誤解しないでほしいのは、そもそも強くなる人は一定以上連珠が好きだし、連珠が好きで好きでしょうがない人も勝負事が好きで承認欲求が強いことは多い。動機を切り抜いた際にどれが一番強そうかという話を私の独断と偏見に基づいてしている。理想型としては「連珠にフォーカスした興味関心」が中心にあって、かつ対人勝負が好きであるが承認欲求からは解き放たれている状態だろうか。現実的にはこの型にどれだけ近いかということだろう。難しい。

廃人適性も稀有。Twitterを見ていても2000局打つだけでなんとかなるといった言説がたまに見られるが、そもそも2000局打つことが常人には異常事態である。廃人適性も見ていると段階があって「俺はこんなにやった(2000局)」という人と「まだまだ自分はこの程度(10000局)」という人がいる。これはマウントを取りたいわけではなく素でそう思っているという意味合いだ。特に後者の人の廃人適性は物凄い。廃人することに苦しさをほとんど、あるいは全く感じず呼吸をするのと同じ感覚でできるような人達がいる。連珠とは話が変わるが、とあるオンラインゲームで一日でレベルをカンストさせる友人がいた。彼にどうやるのか話をきくと「経験値2倍のアイテムを購入して、20時間くらい狩り続ければすぐいける」と事もなげに言われてしまった。その場でポカンとしてしまったが、真の廃人とはこういうものである。連珠でも朝起きて外出する前にちょっと研究しようとして、気づいたら日が暮れていたという事例も聞いたことがある。廃人適性のある人はそうでない人より合計所要時間では多少遅れをとることもあるが、化け物じみた強さを手に入れてくることが常だ。

この記事を書く前は正直、この三つの中のどれか一つを持っていることくらい大して珍しいことではない、みんな当てはまるのでは?とさえ考えていたが、冷静に文字に起こしてみるとどうやら常軌を逸している。でもこういう人達は実在する。連珠では廃人適性の持ち主が多いような気がする。こういうことはよくあるんだよハハハ的なテンションで締めるつもりだったが、かえって異質性を浮き彫りにしてしまったかもしれない。

「どうしたら強くなりますか?」に対する考察

「どうしたら強くなりますか?」

 

この質問は、連珠のようなゲームをしている方共通の悩みだろう。私自身も日々感じているし、何より最近は聞かれることが多い。自分なりに考えてみたい。

まず、この質問をする人には、私の経験上大きく分けて以下の3通りに分かれる。

①話題作り。とりあえず聞いてみたい質問

②はじめたばかりで本当に右も左もわからない

③練習時間をかなり割いている、あるいは対局数が非常に多いにも関わらず伸び悩む

 

①の人と思しき場合には、とりあえず詰め連珠と答えている。誰相手でも大抵当てはまる安全な解答である。②の人についても、基本的には詰め連珠と答えている。連珠は基本的な詰みが分からないとその他概念の導入に非常に苦労するため詰みが分かるに越したことはないし、極端な話詰み周辺を究めればそれだけで五段にはなると感じている。詰みが嫌いな人についてはとりあえず何も考えずに1000局打って、話はそれからだとよく伝えている。当たり前だが人間の能力適性というのは多種多様で、ある程度の局数を積まないとその人の得意苦手が見えにくい。1000局も打てば個人差はあるがそれが概ね見えてくるのと、三や四を見逃さない程度の認知力が磨かれてくるので思考に余裕ができる。これは独力で強くなる場合で、誰かに教えてもらう場合はその限りではない。教えてもらう場合には、一局打つ、というより開始10手から15手くらい打つとその人の得意苦手や何を考えているか、何が見えていないかがある程度分かるのでそれを局中で検証しながら修正していくのが一般的だろう。こういう話をすると驚かれることが多いが、連珠ではそのくらい一手あたりに得られる情報量がある。

問題は③の人達。これに該当する方の心中は察するに余りある。「自分はこんなに連珠に時間を費やしている。周りはどんどん強くなるなかで自分ばかりが置いていかれる。自分はなんてダメなんだろう。」とドツボにはまっていきやすい。私もその口だったが、見ているとこの中にもいくつかのパターンがある。

①対局数は多いが基本的に全てノータイム打ち

②いつ寝てるのかというレベルでずっと打っている。睡眠不足

③気にかかることがありながら打つなどの精神的不安定や体調不良

④インプット不足

これらの要素は一人一つというわけではなく、多くの場合は複合的である。というより全部持っている人が多いのではないかなぁ。

①について、ノータイム打ちをやりまくって強くなれる人というのは、他のボードゲームで既に強くなったという経験がある人を除くと一種の特殊能力持ちあるいは子供である。何も考えずに打っていてそこから何かを引き出すのは難しい。強い人のノータイムの場合は、着手が速いだけでずっと考えている。ノータイム打ちをしながら考えるのは特に最初のほうは難しいので、例えば五目クエストの5分なら慣れないうちは序盤で5分使い切るくらいでもいいと思う。最初のうちは負けまくるが、レートは後からしっかりついてくる。

②について。これは意外に思われるかもしれないが、この手のゲームで強くなるための最重要要素は私の中では適切な睡眠の確保である。理想は8時間、できれば7時間。6時間以上は死守する。睡眠に関する情報はTwitterでも多く流れているし、ぐぐればいっぱいでてくるので細かいことは各自調べてもらいたいが、体感でも睡眠が不足すると明らかに集中力認知力記憶力が低下する。睡眠を削ってまで練習するのは逆効果である。寝るだけで強くなることさえある。睡眠は大事。③も同様に睡眠が関係している可能性もあるので困ったらとりあえず寝るべし。

④について。ひたすら対局数を積むだけで自分で何かを発見し、取り入れあるいは修正するということができる能力者はいる。そういう人はただ打っているだけで勝手に強くなる。一種の特殊能力の類であり、多くの人はインプットとアウトプットを別々に行う必要があると思われる。インプットした内容を精度高くアウトプットできるようにするというのが強くなるという言葉の中身だと思うが、既存の知識を十分にアウトプットできるようになった場合、新しい知識をインプットしないと強くなれないことになる。対局数を積みまくっているのに強くなれない場合はこれに該当する可能性が高い。

私がこの問題の解決に推奨するのは「見ること」だ。棋譜並べでもいいし、自分より強い人のリアルタイム観戦でもいい。自分より強い人は強いだけの理由があるはずでそれを探していく。自分ならこうは打たないとか、この手順をよく見るだとか、注意深く見ていると色々発見があるだろう。見つけたら実際に自分で試してみてそれを検証していく。極端な話強い人のマルパクリでもしばらくはいいと思う。マルパクリ自体が難しくてできないのと、マルパクリをしようとするうちに自分の中で要点が整理されていくことが見込める。見ることを練習の選択肢に含めない人も多いのではないか。個人的に打つよりも大事なので是非やってみてほしい。

色々書いてきたが、つまるところ一番大事なのはどうしたら強くなるかを自分で突き詰めて考えることだと思う。強くなってきた人とあなたは根本からして別の人間だ。その人が通った道筋を同じように辿っても強くなるとは限らない。どうしたら強くなりますか?を他人に投げかけるのではなく、自分に投げかけるのがよき。

 

連珠は知識のゲームか?~局面認知力と知識~

「連珠は視力」というのは特に最近よく言われることだが、これについて少し考えたい。視力、ここでは瞬発的な局面認知力=「ある局面を見た時に、適切に情報を取捨選択する能力」として話す。これに必要なのは何か。私のなかでは「経験値+整理された知識」の二つである。

経験値というのは要は慣れのことだ。局面認知を繰り返すことによって慣れてきて、それだけで速度が上がる。ここに違和感を持つ人はいないだろう。

整理された知識について。具体的にどう表現するか迷ったが、私の語彙ではこのくらいが適切だろうと感じたので、他に言い方あるいは専門的な表現があるかもしれない。その辺りはご容赦願いたい。整理された知識とはつまり汎用性のあるもの、ここでは連珠の話なので連珠に限定するが、連珠を打つ上である特定の局面だけではなく広く色々な局面で使用できる知識を指す。

この類の最も簡単なものの一つは、「相手の四は止めなければならない」がある。これは連珠で四がある局面ではほぼ何にでも該当する。例外は、あらかじめ自分の四がある場合。相手の四を止めずに自分が五を作ってよい。実戦では自分の四が存在する状態で相手に四を打たれることはまずないので、実質的に100%どの局面にも当てはまる連珠についての知識である。

これに対して、整理されていない知識というのがある。「この局面ではこう打つのが正解」というもので、早い話が丸暗記だ。丸暗記はその該当局面以外では使用できないため、記憶容量を取る割りに使い勝手が悪い。この類の知識は局面認知力にはほぼ影響しない。私の経験上では多くの人が「丸暗記」→「整理された知識に噛み砕く」ということをしており、ここをいかにうまくやるかが上達の要なのかもしれない。

局面認知力は上記のような整理されていない謎の情報Xというべきものの量より、整理された知識量及び、それをどのくらい使い慣れているかが大事になってくる。「相手の四は止めなければいけない」ことが定着していない入門者は、通常ある局面で相手に四があっても瞬時に四を止めることはなく、少しの間考えて「これは相手に五ができてしまうから止める必要がある」という思考過程を辿る。この思考過程があるうちは時間がかかる。

四追いでもなんでも、最適化された局面認知力の持ち主は、ある局面群や手筋に対応した知識を豊富に持っており、使い慣れているということだ。連珠には「読みタイプ」「感覚タイプ」「研究タイプ」と言った棋風の分類がされることがあるが、感覚タイプの正体がこれではないかと感じている。豊富な知識があり、それの取捨選択や組み合わせが得意ということだ。

以前、某人の「囲碁は知識」というツイートがあった。それを見た瞬間は「まぁ知識も大事だけどそういうゲームじゃないだろ」というのが直感的な感想だったが、この言説も上記のような意味合いなのかもしれない。連珠でもこのような考え方に則れば大概知識のゲームになるだろう。